ドクターマーチンはドイツの医者「クラウス・マルテンス」が作ったって知ってた?

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みなさんは、「ドクターマーチン(Dr. Martens)」というブランドをご存じでしょうか?ファッションが好きな方なら、名前は知っているのではないでしょうか。

現在世界中に愛好家がおり、“おしゃれで履きやすく耐久性のあるブーツ”として親しまれています。しかし、『ドクターマーチン』には意外な歴史が隠されているのです。

実は、ドクターマーチンはドイツ人医者「クラウス・マルテンス」が作った靴であり、そこには壮絶なストーリーがあるのです。

あかパンダ
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今回はドクターマーチンとドイツ人医師クラウス・マルテンスのお話です。

ドクターマーチンの誕生から現在までの全てを知りたい方は、この記事もぜひご覧ください。

ドクターマーチンの生みの親、ドイツ人医師クラウス・マルテンスの誕生

後に『ドクターマーチン』の生みの親となる「クラウス・マルテンス((Klaus Maertens)」は1915年にドイツのブラウンシュバイク(Braunschweig)で生まれました。彼の家は眼科医を営んでおり、前年1914年は後に第一次世界大戦と呼ばれることになる大きな戦争が始まった年でした。

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医者の息子として生まれた「クラウス・マルテンス」は、時代の流れでしょう軍医を目指すようになります。

第二次世界大戦とクラウス・マルテンスの怪我

爆撃後のドイツ ケルン

1914年から始まった第一次世界大戦は1918年に終戦を迎えます。4年3ヶ月続いた、人類最初の世界大戦でした。そして1939年、再び大きな戦争が始まります。後に第二次世界大戦と呼ばれる戦争です。

クラウス・マルテンスは軍医として戦地へと派遣されますがドイツへの帰還を果たします。しかし、彼は第二次世界大戦中に足に怪我を負ってしまます。そして、それまで履いていた靴がいかに履きにくいものであるかということに気づくのでした。

あかパンダ
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クラウス・マルテンスが足に怪我を追っていなければ、きっとドクターマーチンは誕生していません。

プロトタイプ・ドクターマーチンの誕生

現在のドイツ ミュンヘン

舞台は1945年のドイツ ミュンヘンに移ります。1945年といえば第二次世界大戦が終了した年。

クラウス・マルテンスは第二次世界大戦の影響で廃材だらけになったミュンヘンでユニークなアイデアを思い付きます。それが空気の入った足の負担を和らげる特別なソール「エアクッションソール」です。

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クラウス・マルテンスは自身の足の負担を和らげるためにエアクッションソールを思いつきました。

靴修理屋の廃材で作られたエアクッションソール

プロトタイプの「エアクッションソール」は、第二次世界大戦で被害を受けた靴修理屋の廃材などを作って生み出されました。

なんの運命の巡り合わせか、クラウス・マルテンスは学生時代に靴作りの経験をしたことがあったのでした。彼はその経験と靴修理屋の廃材やタイヤ、軍用のコートなどを使い靴を完成させていくのでした。

プロトタイプ・ドクターマーチンの完成とヘルベルト・フンク

ここでもう一人、重要なキーマンが登場します。その名は「ヘルベルト・フンク(Herbert Frank)」。クラウス・マルテンスと同じドイツ人であり、彼の友人でもありました。

彼は工学系の知識を持つ人物であり、エアクッションソールを見せたところ意気投合し共同開発を行うことになります。結果、エアクッションソールはより洗練されたものとなり、彼の協力で後のドクターマーチンへつながるプロトタイプの『ドクターマーチン』が生み出されることとなります。

1960年4月1日ドクターマーチン 1460 8ホールが誕生

1960年4月1日、初の『ドクターマーチン』が誕生しました。そのドクターマーチンは今でも販売されている1460 8ホール。

あかパンダ
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そしてその『ドクターマーチン』はドイツではなくイギリスで誕生しました。

なぜイギリスで『ドクターマーチン』が誕生したのかというと、イギリスの老舗靴メーカー「R.グリッグス社」との技術提携があったから。

エアクッションソールは海を超え、老舗靴メーカーとのコラボレーションを果たしました。

ドクターマーチンが誕生した後の話

『ドクターマーチン』が誕生した1960年代、人々は頑丈で歩きやすい靴を求めていました。

世界は第二次世界大戦からの復興の時期です。イギリスは労働者に溢れ、労働者のためのワークブーツとして発売された1460 8ホールはすぐに人気を得るようになります。

ドクターマーチンがさまざまなカルチャーを象徴する靴へ

『ドクターマーチン』はまず、労働者のための革靴となりました。そして「スキンヘッズ」や「パンク」「スカ」など、さまざまな文化に取り入れられ次第に“反体制”の象徴になってゆきます。

そして次に『ドクターマーチン』を着用するようになったのがミュージシャンなどのアーティスト。そうなるとアーティストに憧れた人々もまた『ドクターマーチン』を履くようになります。

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こうしてドクターマーチンは世界中で愛されるようになったのです。

クラウス・マルテンスの最後

クラウス・マルテンスは1988年2月3日に亡くなりました。

情報が少なく、彼が1960年の『ドクターマーチン』発売以降どんな生活を送っていたのかは残念ながらわかりません。

しかし、彼は“足を守るための靴作り”をコンセプトに靴作りを始めました。現在、ドクターマーチンは歩きやすい画期的な革靴として世界中で愛されています。

あかパンダ
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きっとクラウス・マルテンスも自分が開発した「エアクッションソール」を使った靴が世界中に広まったことを喜んでいたのはないでしょうか。

人気のドクターマーチンを紹介

ここで『ドクターマーチン』の人気モデルについても触れておきましょう。

ドクターマーチンには、多くの人気モデルがありますが、特に「1460」「1461」「2976 Chelsea Boots」は、どれも外せないアイテム。

あかパンダ
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どれもクラウス・マルテンスの生み出した「エアクッションソール」を搭載したモデルです。

一番最初のドクターマーチン:1460 8ホール

1960年に発売された初めての「ドクターマーチン』。発売当時からほぼ変わらない形の定番ブーツでストリートファッションに最適。

名前の通り8つのホールがあり、ブーツらしいホールド感と「エアクッションソール」の快適な歩き心地を両立しています。

脱ぎ履きの多い日本にピッタリ:1461 3ホール

1460 8ホールが発売された翌年に発売された、もうひとつのドクターマーチンの定番。1461 3ホールは8ホールのローカットモデルの位置付けで、屋内と屋外で靴を頻繁に脱ぎ履きする日本に非常にマッチしたモデル。

シンプルなモデルを選ぶなら:2976 チェルシーブーツ

“サイドゴアブーツ”とも呼ばれる「チェルシーブーツ」は細身でスタイリッシュな印象を受けるブーツです。靴紐ではなくゴムを使って脱ぎ履きするため3ホールと同じく脱ぎ履きが多い日本で使い勝手がいいブーツです。

細身な見た目ですが、もちろんソールには「エアクッションソール」が使われており快適な歩き心地です。

あかパンダ
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紹介したモデルは、どれも高いクオリティを誇り、自信を持っておすすめできる一足です。

まとめ:ドクターマーチンはドイツの医者「クラウス・マルテンス」が作ったって知ってた?

『ドクターマーチン』は、ドイツ人医師「クラウス・マルテンス」が生み出した画期的なソールが元となって誕生しました。

そのソールは友人の力を借り、そして海を越えて老舗靴メーカーが今の『ドクターマーチン』となりました。あまり知られていませんが、『ドクターマーチン』はそんな歴史とロマンの詰まった革靴なのです。

あかパンダ
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ぜひ、ドクターマーチンを見た時にはその歴史も思い出してみてくださいね。

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