『ドクターマーチン(Dr. Martens)』は、世界中で愛されている靴ブランドでありその独特なデザインと高い耐久性から多くのファンがいます。このブログ記事では、『ドクターマーチン』の誕生から現在に至るまでの歴史を詳しく掘り下げ、その進化を追いかけます。
あまり知られていませんが、『ドクターマーチン』は発売当初「労働者の靴」でした。

それがなぜ、現代のようなファッションアイコンへと変貌を遂げたのか、その過程やブランドが抱える独自の魅力について紹介します。
- ドクターマーチンの歴史
- 世界中でドクターマーチンが愛されている理由
- ドクターマーチンを象徴するモデルについて
ドクターマーチンの誕生背景と創業者マルテンス

まずは『ドクターマーチン』がどのようにして誕生したのか、その背景と『ドクターマーチン』の生みの親、「クラウス・マルテンス(Klaus Martens)」についてご紹介しましょう。

公式サイトにもヒストリーの紹介がありますが、もっと詳しく紹介していきます。
ドクターマーチンを産んだクラウス・マルテンス

ドクターマーチンの誕生は、1945年にまで遡ります。
当時兵役に従事していた25歳のドイツ人、「クラウス・マルテンス(Klaus Martens)」医師は足に負った怪我をきっかけに、快適な靴を作りたいという思いを抱くようになりました。当時の革靴はどれもソールが固く、非常に歩きにくいものだったのです。

クラウス・マルテンスさんについては上の記事でより詳しく解説しています!

マルテンスは戦後、靴修理屋に残っていた素材などを利用して、歩きやすくてクッション性の高いソールを備えた画期的な靴を誕生させます。この時に生み出されたのが今のドクターマーチンの原型ともいえる「エアクッションソール(ドクターマーチンソール)」を採用した初めての靴です。

そのエアクッションソールを機械工学の知識が豊富な友人、「ヘルベルト・フンク」博士に見せたところ、その素晴らしい性能に意気投合。
二人は協力関係を結んで、第二次世界大戦後の軍事用品を原材料として独自の靴を生産するようになります。
エアクッションソールはドイツからイギリスへ

1945年、第二次世界大戦が終わりドイツがまだ戦争からの復興の真っ最中だった頃。仕事に追われる人々は快適で耐久性の高い靴を求めていました。

そしてドイツから海を挟んだイギリスでも状況は同じ。労働者の人々は歩きやすく丈夫な靴を求めていました。
少しだけ時が経って時は1950年代。後に現在のドクターマーチン社となるイギリスの「R.グリッグス(R. Griggs)社」がクラウス・マルテンスとヘルベルト・フンクの開発した「エアクッションソール」に目を付けます。

グリッグス家の所有する「R.グリッグス社」は1901年にイギリス ノーサンプトンで創業した老舗の靴メーカーでした。R.グリッグス社は「エアクッションソール」に改良を加え、製造特許を1959年に獲得。そのソールを使用したブーツを1960年に販売開始します。

そのモデルは、今でもドクターマーチンの定番として人気の高い“あのブーツ”です。
最初のドクターマーチンの発売と時代背景

「エアクッションソール」を搭載したワークブーツは、1960年に『ドクターマーチン』という名前で販売されました。
ドクターマーチンとして発売された初のワークブーツは、今でも絶大な人気を誇る「1460 8hole」。当時の労働者のためにデザインされました。
クラウス・マルテンスという名前を英国読みするとクラウス・マーチンとなることに由来します。マルテンスを英国で発売に合わせて読み方を変えたので、“マーチン”となりました。

8ホールで足をしっかりとホールドし、耐久性と快適さを重視した作りになっています。
今でこそNIKEのエアマックスに代表されるようにソールに空気が入った靴は多く販売されていますが、歩きやすい「エアクッションソール」は当時としては革新的な技術であり、多くの労働者から支持を受けました。

ドクターマーチンの起源についてさらに詳しくは上の記事をどうぞ。
労働者の靴からファッションアイコンへ

クラウス・マルテンスとヘルベルト・フンクがソールを生み出し、R.グリッグス社が形にした『ドクターマーチン』。

1960年の発売当初は労働者の靴であった『ドクターマーチン』は、どのようにして現代のようなファッションアイコンとしての立ち位置へ変化していったのでしょうか。
1960年代の労働者階級と靴の重要性
1960年代、『ドクターマーチン』はイギリスの労働者階級の間で広く受け入れられるようになります。
当時、労働者は安価で耐久性のある靴を求めていましたが、『ドクターマーチン』はそのニーズに完璧に応えました。この時期、『ドクターマーチン』は英国の労働者階級を象徴する存在となります。

郵便局員や警察官にも履かれていたんだとか!
1970年代にはパンク文化とドクターマーチンが結びつく
1970年代に入ると、英国にパンク文化が登場。『ドクターマーチン』はパンクスタイルのアイコンとして採用されるようになりました。
パンクロッカーたちが好んでドクターマーチンを履くようになり、次第に“ドクターマーチン=反体制的な象徴”としての地位を確立するようになります。多くのミュージシャンやアーティストがドクターマーチンを愛用し、これによりブランドの人気はさらに高まりました。
ついにファッション業界への進出

1980年代には『ドクターマーチン』はファッション業界にも進出します。
この頃から、さまざまなデザインやカラーのモデルが登場し、これまでよりもより多くの人々に愛されるようになりました。

特に、ヒッピーやスキンヘッズなど、パンクとも異なるサブカルチャーと結びつくことで、ドクターマーチンは多様なファッションスタイルに取り入れられました。
ドクターマーチンが世界中で今も愛される理由

イギリスの労働者階級を象徴する靴だった『ドクターマーチン』。偶然か必然か、音楽と結びつき反体制的の象徴へと変化。その後は多くの文化と結びつき、ファッション業界へと進出していきます。
いったいなぜ、ただのワークブーツであったはずの『ドクターマーチン』は歴史の中でここまで世界で愛されるようになったのでしょうか。

ここからはその理由に迫ります。
ドクターマーチンだけが持つ独自のデザイン

『ドクターマーチン』のデザインは一目でそれとわかる独自のスタイルを確立しています。特に、エアクッションソールや特徴的な黄色いステッチが施されたデザインが多くの人々に愛される要因です。
また、シンプルながらも存在感のあるデザインは、カジュアルなスタイルからフォーマルなスタイルまで取り入れやすく幅広いシーンで活躍します。
ワークブーツ由来の高い耐久性と快適さ

『ドクターマーチン』の靴は耐久性が非常に高く、長期間に渡って愛用することができます。レザー素材の質の高さとエアクッションソールの快適さは多くのユーザーから高く評価されています。
履けば履くほど足に馴染み、独特の風合いが出てくることも多くのファンを惹きつけるポイントです。履きこんだ『ドクターマーチン』はまるで自分の身体の一部のよう。
ブランドのコミュニティとアイデンティティ

『ドクターマーチン』は単なる靴のブランドではなく、強いコミュニティを形成しています。ブランドを愛するファンがSNSなどで情報を共有したり、自分自身のスタイルを披露したりしています。
このようなコミュニティの存在が、国や人種、性別も時代も年齢を超えて『ドクターマーチン』の人気をさらに高めています。

ドクターマーチンは自己表現のためのツールとして全ての壁を超えて世界中で愛されています。私がこのブランドが好きな理由の一つでもあります。素敵ですよね。
ドクターマーチンの象徴的なモデルとその変遷

『ドクターマーチン』は1960年のファーストモデルからどんどん進化を続けています。
全てを紹介するのは難しいので、ここでは「ドクターマーチンといったらこれ!」という『ドクターマーチンの中でも』象徴的なモデルを2つに絞ってご紹介しましょう。

他にも紹介したい定番のモデルがいくつかあります。上の記事の中で触れているのでこちらもぜひどうぞ!
1460 8hole:誕生から変わらないクラシックな8ホールブーツ

『ドクターマーチン』の象徴とも言える「1460 8hole」は、1960年に初めて量産されたモデルであり、今でも多くの人々に愛されています。
1960年の4月1日に量産されたことから“1460”という番号が与えられ、これまで多くのサブカルチャーと結びついてきました。現在でも様々な素材やカラーで展開されており世代を超えて支持されています。
1461:いつでも合わせやすいシンプルな3ホールシューズ

「1461 3hole」は、3ホールのシンプルなデザインが特徴で、カジュアルからフォーマルまで幅広いスタイルに対応できます。季節を問わずに履けるのも最大の魅力のひとつ。
特に靴の脱ぎ履きの多い日本では、ブーツほど脱ぎ履きに時間がかからず服装や天候に関係なく履けることから人気の高いモデルです。

『ドクターマーチン』の中でも人気を二分する「1460 8hole」と「1461 3hole」。あなたがドクターマーチン初心者であれば、まずは特に長い歴史を持つこの2足を押さえておきましょう。
限定モデルとコラボレーションの歴史

『ドクターマーチン』は、ブランドやアーティストとのコラボレーションを行い、限定モデルを多数展開しています。「1460 8hole」や「1461 3hole」もそのベースとされることが多く、これにより新たなファン層を獲得し常に進化を続けています。
例えばアニメや映画・ビッグネームとのコラボはファンからの支持が高く、入手困難なアイテムもこれまで多く生み出しています。

「欲しくてもなかなか手に入らない」そんなレアリティの高いアイテムがあるのも『ドクターマーチン』の人気が衰えないポイントなのかもしれません。
未来へ向けた、ドクターマーチンの挑戦とビジョン

ここまで『ドクターマーチン』の誕生からその歴史についてお話ししてきました。では、これから先、未来のドクターマーチンはどんな報告へと進んでいくのでしょうか?

詳しくは公開されていない部分もありますが、ドクターマーチンの取り組みを見るとなんとなく方向性が見えてきます。
環境への配慮とサステナビリティ

近年、様々な企業が環境への配慮が求められる中、『ドクターマーチン』もサステナブルな取り組みを始めています。
例えば、本革を使用しない「ヴィーガンレザー」を使った商品や、革のハギレを組み合わせて生み出したユニークなプロダクトなど、環境に配慮しつつも『ドクターマーチン』らしさを失わない挑戦を続けています。
こうしたリサイクル素材を使用した製品や、製造過程での環境負荷を軽減する取り組みを行っており、これにより新しいファンを増やし続けています。
新しい市場への展開

『ドクターマーチン』は、今や世界中で愛されるブランドとなりました。『ドクターマーチン』のファンの年齢は幅広く、子供からお年寄りまで誰しもに愛されるブランドになっています。
現在、特に日本で力を入れているのは若い世代へのアプローチのようです。新たなスタイルやコレクション・コラボを展開することで、ブランドの魅力を広げています。また、若い世代向けのクーポンやセールも定期的に行われています。

未来に向けて、新たな『ドクターマーチン』ファンを増やし続けています。
本国イギリスでは1960年に発売が開始されたわけですから、当時20歳だった若者も既に80歳をとっくに超えています。中には親子3代に渡って『ドクターマーチン』を愛用する人々もいるそうです。日本でもファンを増やし続けて欲しいものですね。
ドクターマーチンの未来の展望

『ドクターマーチン』は、これからも進化を続け、時代のニーズに応えていくことでしょう。核となるアイデンティティを守りながら、柔軟に変化していくブランドなので、時代に合わせてこれまで想像もできなかったようなプロダクトを発表するかもしれません。
これからもファンとして『ドクターマーチン』の行く末を見守っていきたいですね。
【まとめ】ドクターマーチンの歴史:アイコニックな革靴の誕生と進化について

『ドクターマーチン』は、その誕生から現在まで、その歴史の中で多くの人々に愛されてきました。労働者の靴からファッションアイコンへと変貌を遂げ、独自のスタイルとコミュニティを築き上げました。
今後も環境への配慮や新しい市場への展開を通じて、さらに人気は加速していくでしょう。

進化し続けるドクターマーチンをぜひ、自分自身のスタイルに取り入れてみてくださいね。

ドクターマーチンをこれから買う方に向けて、サイズ感を解説している記事もあります。ぜひご覧くださいね!
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