ドクターマーチンの起源に迫る。革命的シューズの誕生秘話とは

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『ドクターマーチン(Dr. Martens)』はその独特なデザインと耐久性の高さから世界中で愛されるブランドです。しかし、『ドクターマーチン』の起源についてはあまり知られていません。

実は『ドクターマーチン』は非常にシンプルなニーズから生まれました。それはドイツ人医師、「クラウス・マルテンス(Klaus Martens ※イギリス読みだとクラウス・マーチン)」による“足を守るための靴作り”から始まったのです。

あかパンダ
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この記事では、『ドクターマーチン』がどのようにして誕生したのか詳しく解説していきます。

ドクターマーチンがなかった頃、世界には歩きにくい靴しかなかった

『ドクターマーチン』が誕生し、量産されるのは1960年のこと。

1914年から1918年までの第一次世界大戦。そして1939年から1945年までの第二次世界大戦。大きな対戦を2つも経験し時代が大きく動いた時期ですが、それでも世界には歩きやすい革靴はほとんど存在しませんでした。

そんな時、一人の青年が“足を守るための靴を作ろう”と立ち上がります。彼こそが『ドクターマーチン』の生みの親、「クラウス・マルテンス」その人でした。

ドクターマーチン誕生の背景

さて、『ドクターマーチン』の物語は、第二次世界大戦後1945年のドイツから始まります。

当時25歳の「クラウス・マルテンス」は戦争に従事していたドイツ軍の医師であり、戦時中に足を怪我するという不運に見舞われました。

そして彼は自身の怪我によって、当時の一般的な軍用ブーツが怪我をした足で履くのに如何に適していないか身をもって知ることとなりました。

その結果、「クラウス・マルテンス」医師は「もっと快適で、足に優しい靴を作りたい」と強く感じるようになります。彼は、足のサポート力を強化し、長時間歩いても疲れにくい靴を求めて新しい概念を持った靴の設計をすることを決意しました。

あかパンダ
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この決意が、後にドクターマーチンの基礎を築くことになります。

革新的なソール技術の開発

「クラウス・マルテンス」医師がした最も重要な発明のひとつが、エアクッションソール(ドクターマーチンソール)」です。この技術こそが、歩きやすさにおいて『ドクターマーチン』を他のブーツと一線を画すものにしました。

「エアクッションソール」とは?

「エアクッションソール」は別名“ドクターマーチンソール”とも呼ばれるソール。ゴム製のソールの中に空気を閉じ込めることでクッション性を高め、歩く際の足の負担を軽減した画期的なソール。

ドクターマーチンソールは忙しく働く労働者のために

戦後、「クラウス・マルテンス」は靴修理屋に残っていた素材などを用いて自らエアクッション付きのソールを開発しました。これにより、従来の靴では得られなかったクッション性と歩行時の快適さを両立した靴が提供できるようになったのです。

ドクター・マルテンス医師は、このソールが軍人だけでなく一般の人々にも役立つと考えました。時代は戦後復興の真っ只中。忙しく日々の労働や長時間の立ち仕事に従事する人々にとって、このクッション性の高い靴は非常に有用であるはずです。

あかパンダ
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エアクッションソールは、足を守ると同時に、足の負担を和らげ怪我のリスクを軽減できるメリットがあったのです。

空気入りのソールは“時代を先取りした大発明”

「空気入りのソール」と聞いて真っ先に連想するのはナイキ・エアマックスではないでしょうか。実はエアマックスに先駆けてナイキでは空気入りソールの靴を販売しており、その靴は1978年に発売された「テイルウインド」というスニーカーでした。

「クラウス・マルテンス」が後に『ドクターマーチン』の祖先となる靴を作りはじめたのは1945年のこと。量産されたのは1960年のことですが、ナイキと比較して約20年も先行して“空気入りのソール”という概念を実用化していたワケです。

あかパンダ
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空気入りのソールというアイデアは時代を先取りした大発明だったと思います。

クラウス・マルテンスとヘルベルト・フンクの共同開発

「クラウス・マルテンス」医師は、自身のアイデアを同じくドイツ人である友人、「ヘルベルト・フンク(Herbert Funck)」に伝えました。フンクは工学技術に精通しており、彼の知識がマルテンス医師のビジョンをより力強い形で現実のものにしました。2人は力を合わせ、初期のドクターマーチンシューズを開発しました。

1950年代初頭、この“プロトタイプドクターマーチン”とも呼べる靴がドイツ国内で販売され始めます。そして予想以上の成功を収めることになったのです。

特に、靴の快適さと耐久性が労働者の間で高く評価され多くの支持を得ました。

あかパンダ
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“足を守るための靴作り”という夢が実現した瞬間です。

ドイツ生まれのドクターマーチンがイギリスに渡るまで

1959年、『ドクターマーチン』は新たな展開を迎えます。それは、イギリスのグリッグス(R. Griggs)社との出会いです。

グリッグス社は、革靴の聖地と呼ばれるイギリス・ノーサンプトンに本拠を置く靴製造業者であり、1901年から靴を作り続ける老舗でした。さらに、グリッグス社は耐久性のある靴を作ることに長けていたのです。

エアクッションソールとグリッグス社の技術が融合する

グリッグス社は、マーチン医師が開発したエアクッションソールに注目し、これを自社の技術と組み合わせることにしました。

グリッグス社は、「エアクッションソール」に改良を加え、製造特許を1959年に獲得。そのソールを使用したブーツ「Dr.Martens 1460 8hole」を翌年に発売します。この時からマルテンス博士の名前から『ドクター“マーチン”』になります。

あかパンダ
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ドクター“マーチン”なのは、クラウス・マルテンス博士の名前を英国読み(クラウス・マーチン)にしたところから取ったものです。

1460 8ホールはドクターマーチンの起源そのもの

今でもドクターマーチンの中で1・2を争う人気の8holeブーツは、1960年からほぼそのままの姿を保っています。

あかパンダ
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1460というナンバーは1960年の4月1日に量産が開始されたことが由来します。

ファーストドクターマーチンである1460 8ホールはドクターマーチンの起源そのものであり、エアクッションソールとグリッグス社の頑丈なものづくりが生んだ最初のプロダクトです。

ドイツで生まれた一足の靴が世界ブランドへ

「1461 8hole」の誕生をきっかけに、『ドクターマーチン』のブランドはイギリス国内で広く知られるようになっていきます。戦後復興で頑丈で歩きやすい革靴を必要としていたドイツ同様、イギリスもたくさんの労働者を抱えており自ずと『ドクターマーチン』が必要とされたのです。

その後、別の記事でも紹介しているようにドクターマーチンは“労働者を象徴する靴”から“反体制を象徴する靴”へ、そして現在のようにファッションやサブカルチャーとも強い結びつきを持つブランドへ成長していきました。

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この記事では『ドクターマーチン』の歴史全体をわかりやすく解説しています。

『ドクターマーチン』は当初、マルテンス医師の“足を守るための靴作り”がしたいという医療的な必要性から生まれたものですが、グリッグス社との提携を通じファッション性と実用性を兼ね備えたアイコニックな存在へと進化しました。

『ドクターマーチン』がこれほど成功したのは、その起源にある革新性と製品に込められた「機能美」がもたらした結果といえるでしょう。ドクターマーチンの特徴的なデザインにばかり注目が集まりますが、その根底には“履き物の靴”としての完成度の高さが確かにあるのです。

だからこそ、世界中で人種も性別も年齢も関係なく熱狂的なファンが存在し続け、現在のように世界中で愛される革靴になっているのです。


【まとめ】ドクターマーチンの起源に迫る。革命的シューズの誕生秘話とは

『ドクターマーチン』の起源は、「クラウス・マルテンス」医師の“歩きやすい靴を作りたい”というシンプルな願いから始まりました。そして彼の生み出した革新的なソールをもった靴が国を超え、イギリスの老舗靴製造会社と出会うことで現在の『ドクターマーチン』が誕生したのです。

もしも・・・
  • 「クラウス・マルテンス」が足に怪我をしていなかったら
  • “空気入りのソール”というアイデアを思いつかなかったら
  • グリッグス社がマルテンスの靴を見つけられなかったら

運命の歯車がひとつでも欠けていたら、『ドクターマーチン』はこの世には存在しなかったでしょう。

あかパンダ
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ドクターマーチンの起源、なかなかに興味深いですよね。

エアクッションソールという技術革新は、当時の靴業界において画期的なものであり、『ドクターマーチン』が新しい技術をどんどん取り入れた靴開発をしているのもこれが起源になっています。

ドクターマーチンがこれからどんな進化をしていくのか、ぜひ見守っていきたいですね。

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